『もっとたくさん褒めてあげればよかったな』
ふと、長男と次男の小さかった頃を思い出すと、そんな言葉が浮かびます。
当時の二人の子育ては、本当に必死で、「正しさ」と「ちゃんとしなきゃ」に追われがちで──
でも、年の離れた三男が産まれてから時を経て、今だからこそ気づけたことがあります。
これは、“しっかりした親の話”ではなく、“今もまだ未熟ながら、過去の自分に伝えたいこと”。
誰かに届けばいいなと思いながら書いてみました。
1人目、2人目の子育て、若かったあの頃
私は20代前半で母になりました。
妊娠中から初めての子育ての時期は引っ越し続きで、親たちにも助けてもらい、
大変ながらも新天地での生活はワクワクし、楽しくやれていたと思います。
2才違いで2人目が生まれ、成長と共に愛らしいやりとりも増えると同時に、兄弟喧嘩もするようになりました。
叩いた、物を取った、物を壊された…兄弟喧嘩があるのは当たり前の成長過程ですよね。
頭では分かっているんです…──
その当時、旦那は仕事で家を空けることが多かったので、
ほぼワンオペ状態の私はかなりいっぱいいっぱいになっていました。
私は、「ちゃんとした母親」にならなきゃと肩に力が入っていて、
気づけば“ダメなところを直す”ことばかりに目が向いていた気がするし、
1日を振り返り「私、子育て向いてない…」と落ち込む日が多くありました。
もっと子供たちを肯定して接してあげられたらよかったと思います。
今思うのは、小さかった子供達にそんなに厳しくしなくてもよかったのに…と。
子どもに言えなかったこと、それは自分にも
自己肯定感って、土台は“人からの肯定”で育つもの。
でもね、それって自分自身にも必要だったんです。
私も、「私なんか…」みたいな思考になっていた。
他人にやさしくすることはできても、自分にはつい厳しくしてしまう。
自己否定って、じわじわと心を曇らせるんですよね。
だから、誰かを肯定するためにも、まずは自分を認めること。
たとえば——
今日もごはん作った、えらい。
ちゃんと洗濯した、よくやった。
そうやって自分に言ってあげるのって、すごく大事。
旦那との関係にもヒントがあった
それは夫婦関係にも通じていました。
昔の私は、意見を飲み込むことが多かったんです。
「これ言ったら嫌な空気になるかな」
「私が我慢すればいいか」
でも、それってだんだん自分の輪郭が薄れていくんです。
伝えることでこそ、ちゃんと存在できる。
それに気づくのが、ちょっと遅かったなって。
今では、自分の気持ちはきちんと伝えるようにしています。
その方が、自分も楽になるし、立ち止まった時ちゃんと話し合える関係でいられます。
物を手放すことと、自分を整えること
片づけも実は、自己肯定の練習になる気がします。
“片付かない部屋”って、どこか“自己肯定感の低さ”とリンクしていて、
ごちゃついた空間を見るたびに、自分を責めてしまう。
でもある時ふと思いました。
「1日1つ、手放せばいいんじゃない?」って。
引き出しの中のペン1本でもいい。
読まない雑誌1冊でもいい。
小さな行動が、自分に「私って動ける人かも」って感覚を取り戻させてくれました。
この積み重ねが、明日の私、未来の私をつくっていくんだと思います。
おわりに
子育て、夫婦関係、片づけ——
全部、結局は「自分とどう付き合ってきたか」につながっていました。
今、私が伝えたいのはこれです。
「あなたは、ちゃんとやってるよ」
「もっと自分に優しくしていいんだよ」
私もまだまだ発展途上。
でも、今日もこうして書いている自分を、ちょっとだけ褒めてあげようと思います🌿